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半夏生(はんげしょう)

2010/7/3

大阪の最高気温は6日連続の真夏日で厳しい暑さが続いています。
昨日7月2日は「半夏生(はんげしょう)」の日でした。

「半夏生(はんげしょう)」とは?
雑節の一。太陽が黄経100度にある日で、夏至から11日目。7月2日ごろにあたる。
このころから梅雨が明け、田にカラスビシャク(半夏)が生えるのを目安に田植えの終期とされてきた。

「半夏生」の頃から梅雨が明け・・・とありますが今日は朝から激しい雨です。
天気予報では明日から再度真夏日が続くとの事で今年の梅雨明けは7月末と遅くなりそうです。
昨日のBコース散策では、ほとんど田植えが終わっていました。
我家の前の田(600坪)はすでに田植えが完了し秋の収穫が待ち遠しいです。

田植え ←クリックすると拡大します

真夏日・熱帯夜・さらに「蛙の鳴き声」が加わり悪戦苦闘の毎日です。(笑)
有難い「お米」資産、稲作の歴史について調べてみました。

■稲作の起源
以前は、稲作の起源は植物相の豊富な中国雲南省といわれてきたが、最近の考古学的調査により、雲南省の稲作遺跡は4400年前以上に遡れないことが明らかになった。
ところが、江西省や湖南省で1万年以上前に遡る稲籾が続々と発見されており、古いものは1万2000年前に遡る。これらは焼畑による陸稲栽培と考えられている。

また水稲に関しては、揚子江下流の浙江省寧波の河姆渡(かぼと)村で、炭素14年代測定法で約7000〜6500年前の水田耕作遺物(水田遺構は発見されていない)が1980年代に発見された。また最古の水田遺構は、馬家浜文化中期にあたる約6000年前の揚子江下流江蘇省呉県の草鞋山遺跡で見つかっている。 これらのことから、水稲の水田耕作は揚子江中・下流域に起源し、日本へもこの地方から伝播したとする説が現在では有力となっている。

■日本への伝来 ―稲の伝来に関して、以下の説が主なものとして存在する。
1・揚子江下流域から遼東半島を経由して朝鮮半島を南下して九州北部に伝来。
2・揚子江下流域から山東半島(斉の田)を経て朝鮮半島南部に伝わり九州北部に伝来。
3・揚子江下流域から直接九州北部に伝来(対馬暖流ルート)。
4・江南から西南諸島を経て九州南部へ(黒潮ルート)。

■日本における歴史
日本列島における稲作の歴史は長きに亘って弥生時代に始まるとされてきた。
しかし、近年になって縄文後期中葉に属する岡山県南溝手遺跡や同県津島岡大遺跡の土器胎土内からイネのプラント・オパールが発見されたことにより、紀元前約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていたとする学説が有力となってきた。

また朝寝鼻貝塚の6000年前の地層からイネプラントオパールが発見されたことによって、縄文時代中期以前まで遡るとする説も出てきて、稲作が生業であったかどうかは別にしても、縄文時代後期・末期頃に陸稲(熱帯ジャポニカ)が栽培されていたことはほぼ確実だと推定されるようになった。水稲(温帯ジャポニカ)耕作が行われる弥生時代より以前の稲作は、陸稲として長い間栽培されてきたことは熊本県上ノ原遺跡出土の資料からも類推されていた。縄文時代の栽培穀物は、イネ、オオムギ、アズキ、アワであり、これらの栽培穀物は、後期・末期(炭素年代測定で4000〜2300年前)に属する。

日本最古の水田址遺跡は約2500年前であり、近年の炭素14年代測定法によっても、水稲栽培で定義される弥生時代の始まりが紀元前10世紀まで遡る可能性も出てきた。弥生時代前期初頭の水田遺構は、福岡平野の板付遺跡や野多目遺跡、早良平野の橋本一丁田遺跡等で発見されている。

日本では、寒冷な東北地方でも古くから栽培が行われていたが、江戸時代まではその生産量が不安定であった。東北地方は度々やませに悩まされ、冷害による甚大な被害を受けた。江戸時代からは北海道渡島半島で稲が栽培され始まったが、その規模は微々たるものであった。明治時代以後は北海道の石狩平野でも栽培されるようになり、寒冷地で稲作を可能とするために多くの技術開発が行われた。

戦後、国内生産が軌道に乗ってからは、政府が米を主食として保護政策を行ってきた。不作を除いて輸入を禁止し、流通販売を規制した。自主流通米は量を制限し、政府買い上げについては、買い上げ価格より安く赤字で売り渡す逆ザヤにより、農家の収入を維持しつつ価格上昇を抑制する施策をとってきた。

品種改良は、当初、耐寒性の向上や収量が多くなるように行われてきた。代表的品種は、日本晴である。飽食の時代になってからは、コシヒカリやその系統の、良食味米と耐病性向上が主流になった。食料自給率が低いにもかかわらず米余りになると、減反政策を行い、米を作らない農家に補助金を支給した。豊作で青田刈りを行った年もあった。

現在では、規制緩和により、スーパーマーケット等にも販売が解禁された。国際的な貿易自由化の流れにより、高率の関税を課す関税方式で輸入を解禁した。正規の流通以外で売買される自主流通米が増え、国内の流通販売は自由化された。

■方式 ―二期作と二毛作
1・二期作 - 1年の間に2回稲作を行うこと。減反政策などで行われなくなったが、2004年頃から、四国地方で復活している。
2・二毛作 - 稲作の終了後、小麦など、他の食料を生産すること。
気候的に可能な場合は三毛作も行われている。

■水田稲作と陸稲
1・水稲
稲の水田による栽培を水田稲作と呼び、水田で栽培するイネを水稲(すいとう)という。
田に水を張り(水田)、底に苗を植えて育てる。日本では、種(種籾)から苗までは土で育てる方が一般的であるが、東南アジアなどでは、水田の中に種籾を蒔く地域もある。深い水深で、人の背丈より長く育つ栽培品種もある。畑よりも、水田の方が品質が高く収穫量が多いため、定期的な雨量のある日本では、ほとんどが、水田を使っている。水田による稲作は、他の穀物の畑作に比べ、連作障害になりにくい。
2・陸稲
畑で栽培される稲を陸稲(りくとう、おかぼ)という。
水稲では殆ど起こらないが、同じ土壌で陸稲の栽培を続けると連作障害が発生する。

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