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またまた「井出商店」

2010/7/8

7月6日のブログ「和歌山城散策」の中でご紹介した「井出商店」の事が偶然にも、当日の7月6日(火)~本日7月8日(木)まで「上」「中」「下」の3日間にわたって、読売新聞朝刊「会社‐東西南北」に掲載されていましたのでご案内します。

ブログテーマ「デジカメとぶらり散策」とは関係ありませんが何かのご縁でお付き合いください。下記の内容は7月6日「上」の全文と「中」「下」は一部のみ記載します。

■井出商店(和歌山市)井出 紀生社長(上)・・・全文
 ○母の引く屋台が始まり

 コクのある豚骨しょうゆが特徴の和歌山ラーメンが、全国的に知られるきっかけのなった人気店。井出商店(和歌山市)。今では各地から客が訪れ、店名入りの即席めんは人気商品になっている。経済面と連動し、地域の活力となっている経営者を紹介する「会社―東西南北」では、井出紀生社長(67)に、一杯のラーメンにかける思いを聞いた。

 父は戦地で患ったマラリアのため、若くして亡くなり、私を含むきょうだい3人を女手一つで育てていくため、母親がラーメン屋の屋台を引いたのが始まりだ。とうふ屋や駄菓子屋、次々と商売替えをして、たどり着いたのがラーメンだった。母は商売が好きで、屋号を「井出商店」にした。ラーメン屋に「商店」は変わっているが、印象に残るいい屋号だと思う。

 屋台は6人で満席。スープを作る寸胴も小さく、すぐに煮詰まってしまう。でも、ある日、煮詰まったスープを失敗作と思って飲んでみると、これが悪くない。それ以来、10時間以上、じっくり煮込んだスープを出すようになった。

 1971年に和歌山で国体があり、道路を広げることになつた。工事のために屋台ができなくなり、現在の店を構えた。お客さんも増えて忙しくなり、別の仕事をしいた私も82年かち手伝うようになった。母と毎晩スープを炊き、2、3時間の睡眠という日が続いたが、今思えば、あの頃は地元のお客さん相手に、のんびりと商売をしていた。

【メモ】
1953年創業。94年に有限会社に。和歌山市田中町の本店と、新横浜ラーメン博物館(横浜市)の2店舗で、年商2億5000万円。メニューは中華そば(600円)、特製中華そば(700円)、大盛り(700円)、特製大盛り(800円)の4種類。従業員21人。

■井出商店(和歌山市)井出 紀生社長(中)・・・一部
 ○心無いデマ じっと耐え

 1998年1月、テレビ番組で紹介されて人気に火が付いた。毎日、店を開けると大行列。一過性のものかと思っていたが、客足は鈍らず、最高で1日で1600杯売り上げたこともあった。

 同じ年の10月には、新横浜ラーメン博物館(横浜市)にも出店。最初は断ったが、館長が「ラーメンを愛する同志」と熱心に誘ってくれた。(途中略)

 店が繁盛すると、「スープを使い回してい」るなどと心ない事も言われるようになった。普通に考えると、スープの再利用なんかできるはずがない。「下を向いて、コツコツやらばいい」。その頃は、母の口癖を反復して耐えた。

■井出商店(和歌山市)井出 紀生社長(下)・・・一部
 ○即席めん化 何度も味見

 2000年から大手食品メーカとタイアップしてカップめんと袋めんを売り出し、カップめんは130万食売れた。(途中略)

 店を増やすとどうしても品質が維持できない。手間暇を惜しまないこだわりは、貫きたい。

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