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八陣の庭灯(あかり)

2010/7/30

昨日の7月30日(金)午後7時から岸和田市主催で「八陣の庭灯」があり
「八陣の庭 灯プロジェクト」モニター募集形式で実施され参加しました。

【参加モニター募集】案内

まちづくり創造研究会共同研究チーム(景観)では、市内の景観について研究しています。
今回は、岸和田城内にある八陣の庭のライトアップを行うことになりました。
・・・「広報きしわだ」より

夏のひと夜、岸和田城の城門及び天守閣を開放し、名庭園「八陣の庭に、ECOロウソクを使った「灯(あかり)をともします。岸和田市では、夜のお庭をご鑑賞いただき、アンケートにい答えいただける方を募集しています。みなさんのご応募、お待ちしています。
・・・「参加モニター募集チラシ」より

八陣の庭灯 ←クリックすると拡大します

八陣の庭とは
「八陣」とは中国の古代の武将・諸葛孔明(しょかつこうめい)の八陣法をテーマに作庭したもので、重森三玲の庭の見方は四方正面といわれ、どの方角から観られてもよいようにつくられていますが、八陣の庭はさらに上空からも観られるようにつくられた珍しい庭です。

最上段は『大将』を中心に構えられ、中段は『虎』『風』と、下段には『天』『地』『雲』『龍』『鳥』『蛇』が八陣の兵法として配置されています。

重森 三玲(しげもり みれい)
本名は重森計夫、1896年 - 1975年)は、昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家。

来歴・人物
岡山県上房郡賀陽町吉川(現・加賀郡吉備中央町吉川)の生まれ。当地には豪渓(ごうけい)と呼ばれる水墨山水画の世界を思わせる渓谷地帯がある。日本美術学校で日本画を学び、いけばなと茶道を習い稽古に励む。日本美術学校卒業後には東洋大学文学部に学ぶ。

大正6年(1917年)に画家の道を志し上京するが、全国から集まる才能に意気消沈する。昭和4年(1929年)京都へ移り住むと、翌年には勅使河原蒼風らと「新興いけばな宣言」を発表、いけばなの革新を世に提唱した。

その後は日本庭園を独学で学ぶ。昭和11年(1936年)より全国の庭園を実測調査し、全国500箇所にさまざまな時代の名庭実測、古庭園の調査などにより、研究家として日本庭園史のさきがけとなっていく。

昭和14年(1939年)、『日本庭園史図鑑』26巻を上梓して庭園史研究の基礎を築き、また昭和51年(1976年)には息子の重森完途と共に『日本庭園史大系』全33巻(別巻2巻)を完成させるなど庭園史研究家としても多大な功績を残した。

昭和24年(1949年)には前衛いけばなの創作研究グループ「白東社」を主宰、後に前衛いけばな誌「いけばな藝術」を創刊した。

三玲が作庭した庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園が特徴的であるとされ、代表作に、東福寺方丈庭園、光明院庭園、瑞峯院庭園、松尾大社庭園などがある。

「三玲」の名はフランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーにちなみ本人が改名。

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